2024/10/29

アナログシンセの「機嫌」

  あるところで冨田勲先生がゲスト出演したTV番組(2012年)を見ました。シンセプログラマーの松武秀樹さんもご一緒です。なんと豪華な師弟共演でしょうか。
 音楽スタジオでの収録でしたが、それもそのはず松武さん所有のmoogモジュラーシステム(通称「箪笥」)が設置されています。moogで音作りの基礎や、色々な音を作って鳴らすというのが番組の企画だったのです。
 まあとにかく、あの箪笥moogの前にこのお二人が並んでいるのって凄い光景ですわ。シンセサイズの世界最強エキスパートコンビですから。

 ところが……これが音を作ってみると、結構上手くいかない。💧 松武さんがパッチした音を冨田先生が「それはもうちょっと」なんて微調整するんだけど、なぜか決まらなかったりする。
 冨田先生いわく、アナログシンセには「機嫌」があって、機嫌が悪いとなぜか作りたい音に絶対ならない時がある。「締め切り前にこうなっちゃうと困るんだよなー」、とのことでした。湿度温度の関係かもはっきりしないし明確な理由はわからないそうです。隣で松武さんも頷かれていたような。
 松武さんのmoogは確かに70年代ビンテージですが、たぶん世界で最もメンテされて状態の良いシステムだと思うので、それでさえそうなるとは、全世界共通の悩みなんでしょうね。

 実は他の番組でも(これはかなり前)冨田先生は自宅スタジオでmoogを前に似た内容をボヤかれてました。
(多重録音で曲を作っているので、次の日になると全く同じ設定でも音が変わっていて、本当に困る、とのこと)

 弦央昭良のささやかな仕事場にあるのは、moogといってもユーロラックサイズのMother-32だけど、実はこいつも全く同じです。次の日になると音が違う。箪笥より回路的には安定しているはずですが、まあアナログシンセの特性なんでしょうね。逆に、今の時代に面白いと思っています、安定が欲しいならデジタルシンセを使えば良いわけで。ギターと同じ「生楽器」なんですよ。音色も一期一会。

 いや、それにしても冨田先生と松武さんが悩みながらシンセサイズしているのを見て、その空気感に僭越ながら非常に親近感が……。😋 神様といえど、試行錯誤なんですね。厳しくも楽しいアナログシンセ道。

2024/10/25

「ふわり」ライナーノーツ

 ・この曲ではまずアナログシンセで、大規模ストリングス・アンサンブルを作ってみたくて、アレンジを制作した。もちろん多重録音で実現。

・シンガーの方に渡したカラオケではソフトシンセで仮入れしてあり、実際に収録された歌を聞きながら、ミックス直前の段階で音決めをして、声部ごとにアナログシンセでレコーディングしていく方式。これが一番速い

・moogのストリングスは「ステンドグラス」でやったので、今度はBeringerのSytem100モジュラーを使っている。2VCOで音作りした。ユニゾンではなくオクターブ上の音を重ねている

・声部は5本で、それぞれ3回づつ重ねて音の厚みを出した

・リズムセクションはソフトのシンセドラムで、音の輪郭がクリアすぎるので、カセットテープにドラムバスを録音して、それをまたDAWに取り込んで重ねている

・今回はエレピとパッドもカセットでサチュレーションを入れた

・寂寥感を感じさせる曲調に、力強いストリングスと声を張ったボーカルを組み合わせて独特の雰囲気を作った

・ボーカルの「まいみぃ」さんは「リベールシティ」では大人っぽいAORな歌唱だったが、今回はパワフルな世界も見せてくれました。かなり力量のあるお方だと思います。

2024/10/18

映画『メイキング・オブ・モータウン』観た

  世界的に名高いR&Bの名レーベル「モータウン・レコード」の正史を、創業者二人の証言を中心に構成したドキュメント映画。ベリー・ゴーディは実業家(個人事業主)で、親族のツテで作曲の仕事もしていた。そして出会ったのが新人アーティストのスモーキー・ロビンソン。ベリーがスモーキーに曲を書き、運よく小ヒットしたが、契約レーベルからベリーに払われた印税はわずか3ドル50セント。黒人には未払い・ピンハネが横行していた。
 そこで、どうせなら自分たちでレーベルを作ってしまおうと意気投合し、ここから黒人の黒人による黒人のためのレーベルが誕生した(リスナーは白人も山ほどいたが)。

 2019年の映画で、ベイリー89歳、ロビンソン79歳と高齢ですが、それぞれ70歳・60歳前後にしか見えません。エネルギッシュなベイリーは喋り出すともう50歳くらいの雰囲気。スモーキーは男性から見ても上品なセクシーさがあって驚き。(現在もご両名存命です)

 業界的に面白かった点を過剰書き。

・レコーディング後シングルを出すかどうかは、モータウン主要メンバー会議の多数決で決めた。創業者も1票しかもたない民主的な場。事務方も歌手や作曲家が多かったので、これが結果的にとても上手く機能した。

・初期~中期の社屋は、ほんとに住宅街の一軒屋。一階がスタジオと事務所で、二階にベリーが住んだ。その後回りの家を次々に購入したが、それでも足りなくなり、中期以降自社ビルに移った。

・最初のレコーダーはモノだった。ステレオになった時、ハイテクになったとベリーは喜び、増えたチャンネルに歌手の歌を入れたそう。

・当時(1959年)のデトロイトは製造業が最高潮で景気が良く、周辺からどんどん若者がやってくる活気ある街だった。その時流にも乗った。

・NYの歌手がモータウンに憧れデトロイトでレコーディングしたが、同じ音が出ず失望して帰っていった。当時は社屋の2階のバスルームがエコーチャンバーで、これがサウンドの秘密だったそう😆

・レーベルの座付きバンドはジャズミュージシャン出身。ジャズはアメリカでも仕事が少なかったという。

・ベリーはレーベル設立前ジャズ専門レコードショップをやっていたが、デトロイトの客にはブルースの方が売れると気付いた時には手遅れで閉店。リスナーが求めるものを考えるきっかけになった。

・中期以降は、作家チームの独立(かなりピンハネされていたらしい💧)と訴訟沙汰、育ったアーティストの独立が相次ぎ、この後はあまり語られていない。ハリウッドの映画製作にも乗り出し、そのため会社はLAに引っ越した。デトロイトが暴動で火の海になるのはその後。

・モータウンのツアーで南部最深部を訪れた時、ツアーバスに銃弾が4発打ち込まれた。幸い被害はなかったが、ガソリンタンクの数インチ横に命中。(なんで南部はこうなのか?涙出たよ)

 オーディションでジャクソン5の幼いマイケルがムーンウォークしていたり、スティービーワンダーの声変わり前の歌唱やら、貴重なフィルムも山のように挿入されています。アマゾンプライムで見られるので、ご興味のある方は是非。

2024/10/15

10/15 配信開始「Snow Breaker」/ Brick Geist

疾走雪上車はてしなく――。アナログリズム・テクノポップ

「Snow Breaker」/ Brick Geist

 作曲:弦央昭良
 編曲:弦央昭良

Release Date:2024/10/15
JASRAC作品コード:307-0651-3  

 

#テクノポップ #エレクトロニカ #シンセポップ

2024/10/13

70年万博の冨田勲楽曲

 70年万博の東芝IHI館のことを、前回の投稿から気になってネットで調べてみた。
 とんでもなくぶっ飛んだデザインで、ハイテックな巨大ぼんぼり(?)状のドームが、地面から浮かんでいる形態のパビリオン。このドームの内部は巨大スクリーンを巡らせたシアターになっていて、なんと客席は地下から油圧で上がってきて、ドーム下部に合体して劇場になる形式。書いてて頭がクラクラしてくるが💧、実際これで稼動してたらしいです。なお客席は回転もします。

 IHIが最近も東京で設営してた可動式円形シアターがありましたね(もう取り壊されたらしいが)。あれの元祖ですわね、あきらかに。
 1970年……。信じられない話です。デザインは黒川紀章氏。

 で、このドーム劇場内部で、8面のマルチスクリーンを活かした12分の短編映画が流されていたらしい。世界の人々の文化や暮らし、諸問題、未来がテーマの映像とのこと。その音楽を担当したのが冨田勲先生。

 さて、果たしてこのパビリオンを幼い自分は訪れていたのか。この東芝IHI館は傍らに非常に特徴的な鉄骨タワーが建っていて、これをはっきり憶えていました。親に手を引かれて横を歩いていますね、たぶんもう夜のとばりが降りるころか……。
 そして、当時の短編映画のスチール写真をみると、うっすらと記憶が蘇ってきた。暗いところで巨大スクリーンが並んでいて、そこに顔がアップで映ったりして、子供だった自分は怖かった……。もしこれが別の場所でないなら、この映像と音楽を自分は体験しています。ただし、映画なのでたぶんナレーションも大音量で、音楽の印象は残っていません。とにかく音も絵も迫力がありすぎて、内容も難しいし子供は怯えるだけだったと思う。

 実は決定的なのは、地下のウェイティングスペース(客席に乗り込むための待合)で、流れていた音楽。環境音楽のような、今の知識だとビブラフォンかグロッケンシュピールか、で演奏される器楽曲。子供心にもきれいな音だな……とずっと記憶に残っていた。

 今回調べたら、なんとこの曲が見つかった。編曲:冨田勲になるんでしょうか、世界の民謡や伝統曲のフレーズを次々につないだものでした。これはたぶんチェレスタの演奏。記憶とほぼ合います。
 ということで、70年万博で冨田先生の曲を、幼い自分はそうと知らずに聞いていた――と一応確定です。いやあもう、なんと言って良いやら。人生の重要な局面にいつも冨田先生の音楽があったわけです。

 確かに、『キャプテンウルトラ』『マイティジャック』『ジャングル大帝』あと『リボンの騎士』もか、リアタイで見てましたが(音楽:冨田勲)、人生で初めてTVと無関係に純粋な「音楽」を意識したのが、この万博パビリオンだったので。
 ちなみに、ドーム劇場内で流れていた音楽も聴きました。とんでもなく尖った内容で、オーケストラとバンド演奏を組み合わせた曲です。長くなるので割愛するが、70年代フレーバー満載。シンセサイザーはまだ導入していませんが、色彩感やサプライズに圧倒されます。ハモンドを弾いてるのはミッキー吉野さん、ボーカルは(ルパンを歌う前の)チャーリー・コーセーさん。どうです、聞きたくなったでしょう?😘 実はマニアの間では非売品のレコードが高値で取引されてたんだけどね、当時関係者だけに配られたものだったらしい。

 いやまあ、とてつもなく衝撃的な秋になりました。あと30年は頑張れるパワーを貰った。

2024/10/09

10/15 配信予定 「Snow Breaker」/ Brick Geist

 疾走雪上車はてしなく――。アナログリズム・テクノポップ

 作詞:-
 作曲:弦央昭良
 編曲:弦央昭良

Release Date:2024/10/15
JASRAC作品コード:307-0651-3 

#テクノポップ #エレクトロニカ #シンセポップ
 

2024/10/07

映画「太陽の塔」で大発見

  ドキュメンタリー映画『太陽の塔』(2018年)を観た。言わずとしれた岡本太郎が1970年の大阪万博で作った巨大なモニュメントのことですね。建設の苦労話や背景が前半で、中盤以降や太陽の塔や岡本太郎について、宗教学者や民族学者を中心に思想性や解釈をコメントする形式。例によってコメントはぶつぎりで、結構ざくざく編集してある(こういうの流行か?)。前半は当時の記録フィルムがふんだんに使われ、懐かしかったです。

 岡本太郎は修行時代のパリから帰って、国立博物館で縄文土器を「発見」し、その芸術性に驚いて論文を書き、縄文土器が美術作品として評価されるきっかけを作ったのですね。
 実はそれだけでなく、太郎は自分の芸術のルーツを縄文に求めて、その後沖縄や東北を広くフィールドワークしたそう。それは、縄文文化(狩猟)を持った人々が、歴史的に弥生文化(稲作)に押されて「辺境」に追いやられたから。本州に残った縄文文化圏は、後に被差別側にされますが、沖縄・東北ではそうではなかった。

 映画で東北の「鹿踊り」の様子が流れましたが、速い調子の太鼓に合わせて非常に勇壮な踊りが展開されるものでした(もちろん太郎はこれも取材)。
 宮澤賢治にも『鹿踊りのはじまり』という作品がありますが、たぶん着想の元になったものでしょうか。なんと太郎と賢治がここで繋がってしまった。

 そしてもう一点、傍と気付いたが、70年万博は冨田勲先生が東芝IHI館の音楽を担当しているので、ちょっと牽強付会だが冨田先生と賢治と太郎が繋がってしまったともいえます。
(もともと冨田作品には賢治から題材をとったものが幾つかある。最後の作品となったのは『イーハトーヴォ交響曲』だし) まさかこの三人が70年万博で繋がっていたとは、大変な発見をしたなあ……と感慨に耽っている次第です。

 以下個人的な話。
 70年万博、実のところ自分は幼いころ両親に連れられて行っています。
 さすがに僅かな記憶しかありませんが、印象としては本当に未来都市のイメージで、日が落ちてからの夜景がまたすごかった。映画以上の光景です。
 太陽の塔は、遠くから見れば形がわかるが、近づくと途方もなく巨大で怪物のイメージ。塔の内部に入って、確かあの天井の未来都市も歩きましたよ。
 東芝館も行ってるように思う。果たしてそこで冨田先生の音楽を聞いているのか否か。さすがにほぼ記憶はないが、また書きます。

2024/10/01

YMOのアルバムから学ぶもの

   80年代にリリースされたYMOのオリジナルアルバム、全曲おさらいリスニング終了。スタジオ録音盤の楽曲は全て聞いた。
 ここまで聞いて思うのは、お三方は音楽家として本当にヒネているということ。😓 とにかく世間から期待されていることをしない(ように思える)。ぶっちゃけ大ヒットした2枚目の「ソリッド・ステート・サバイヴァー」と同じ路線なら、確実に3匹目のドジョウまではいるわけですよ。でもそうはしない。もちろん同じことをやり続けるのは、先鋭的なミュージシャンには往々にして苦痛なわけで、常に新しいものを作る方を選んだわけですね。
 とはいえ、少しはファンサービスということも普通は(商業音楽なので)考えるわけで、それをほぼ拒否しているようにみえる。😅

 これが許されたのは、YMOというスーパーグループだからこそだし、当時のA社プロデューサー両氏にやりたい放題させる度量があったからでしょうね。
 1981年の「BGM」なんか、あきらかに90年代っぽいテイストがある。10年先の音楽を作っていたといえそうです。
 さらにこのあたりは、テクノポップというより「テクノ」っぽい。だから本当に時代を先取りしていたんだなあと思います。

 そして解散(散解)が内部的に決まって、出したのが「浮気なぼくら」(1983)。これでいきなり、ストイックなテクノから、テクノポップを超えたテクノ歌謡までいってしまった。
 当時の自分の反応は、「いきなりなんてことを始めたんだ? でもらしいなあ」でした。世間の反応も驚かれはしても、YMOならこれくらいはやる……という「想定内」だったと思います。で、「君に、胸キュン。」がまた大ヒットしちゃうんだよね。この曲で歌番組にも出てましたが、お三方がなんだか少しはにかみながら歌っているのが面白く、明らかにそこまで計算してやってますからね。
 やっぱり80年代音楽の巨大な台風の中心だったと思います。
 意外なことに、83年にはもうラストのスタジオ盤「サーヴィス」を出しています。イメージとしては80年代はずっと存在してたように思えるんだけど、メンバーが全員売れてYMO以外でも出ずっぱりだったから、そう思えるんだと気付いた。

 今回気付いたのは、YMOのボーカル曲はほとんどが声にエフェクトを深く掛けていて、どちらかというと雰囲気ボーカル、インスト曲の範疇に入るといっても間違いではなさそうです。
 またソリッドステート~以降のアルバムで、今で言うサチュレーションを意識した音作りをしているらしきものがある。(ボヤッとしててスマン)。シンセサイズに加えて、スタジオでのミックスでも色々なチャレンジをしていたことが見てとれます。
 それにしても異常な売れ方で中期以降はアルバム制作に時間が取れなくなっていたようで、そのあたりは聞いてみるとわかりますね。1・2枚目とは明らかに楽曲の成り立ちが違う。

 シンセインスト曲は自己満足になりがちだけど、商業音楽ならどこまでやらないといけないか、逆にやりすぎ(考えすぎ)も弊害があるし、そのあたりはもう見事なお手本(リファレンス)がここにあるといえそうです。

11/18 新曲「オールドソングス」/ Tombo

  いま、ただひとつの想いを伝えたくて――。CARPENTERSに捧ぐ  「オールドソングス」/ Tombo  作詞:弦央昭良  作曲:弦央昭良  編曲:弦央昭良 Release Date:2024/11/18 JASRAC作品コード:307-0643-2...