鍵盤の世界3大リチャードとは、
・リチャード・クレイダーマン
・リチャード・カーペンター
・リチャード・ティー
である。いや、鍵盤プレイヤーのリチャード率って結構高くないか?とふと思って。プログレで名を馳せたリック・ウェイクマンも、もちろん本名リチャードだし。でも、欧米では昔からある名前だから、日本でいえば「太郎」「ケンイチ」みたいなもんですか。
(リック・ウェイクマンは新作出したばかりで、今世界ツアー中らしいですね。しかし全曲ピアノ+オーケストラとか、すっかりクレイダーマン化しとるやん。すべてのリチャードはこうなる運命か?w)
ウェイクマンはおいといて、リチャード・カーペンターの話です。今回一連の記事で調べているうちに、面白いサイトを見つけました。ユニバーサルミュージックの公式サイトらしいけど、質の高い洋楽の翻訳記事が一杯。そんな中でカーペンターズについて書かれた記事。
考えられている以上に、カーペンターズが凄かった理由:ブライアン・ウィルソンと比較される完璧主義者のリチャードの功績
https://www.udiscovermusic.jp/stories/carpenters-2
彼らはソフトロックとかAORとか、多少変なことも書いてあるけど(この辺りは欧米のロック評論家の意見かも)、驚くような事実が発覚。
前身となったリチャード・カーペンター・トリオは、なんとインストバンドだったのですね。ピアノ、ドラム、ウッドベース(とチューバ)という構成。ドラムはもちろんカレンで、ベースは友人。このバンドは1966年ハリウッドボウルでのコンテストに優勝。この時、リチャードはまだ10代後半です(!)。ひええ。しかもなんですかこの尖った編成は(この演奏ぜひ聞いてみたいけど、残ってないだろうなあ)。
リチャードはバンドのサウンドを「ロック・チューバ」と自称していたらしい。
でもさすがにこれでは売れないと自覚していたようで(w)、メジャーと契約するためにポップスのデモを録音、フルートに合わせて16歳のカレンが歌う曲だった。
(他のサイトの情報だと、デモはあちこちで落ちまくったが)、最終的に当時新進気鋭のA&Mレコード設立者、ハーブ・アルパートの目に止まった。
こうして1969年デビューアルバムが発売されるが、すでにこの時点でリチャードは「アレンジを自由にやっていい」という、新人としては絶対あり得ないような裁量を与えられていた。
(ハーブ・アルパートの眼力もものすごい、才能のある奴には自由にさせた方が、そりゃいいから。その後の成功をみたら、いかにこれが正解だったか。ビジネス的にもA&M幾ら儲けたんだって話だよw)
さらにこんな記述も。
リチャード・カーペンターの完璧主義は、スタジオからライヴへと引き継がれた。彼はコンサート前、楽器用やヴォーカル用のマイクのバランスを調整するのに、自ら1時間を費やしていたものだ。通常ならそれは、サウンド・エンジニアに任せる仕事である。
(まあ、ベストではあるが、こんなことしてるから睡眠薬依存になったのかも?)
カーペンターズはカバー曲も多いけど、これもリチャードが発掘した曲だったそう。
その他、記事中でリチャードの革新的なアレンジ手法についても述べられています。
リチャードは、カーペンターズの専属作曲家であり、アレンジャーであり、そしてプロデューサーでもあった。
考えてれば当然なんだけど、カーペンターズは二人の共同作業で成り立っていたグループであり、これまではリチャードが過少評価されすぎていた。少なくとも功績の半分はリチャードのものです。
フィル・ラモーンですら、カレンのプロデュースに失敗しているのだから、実兄というアドバンテージはあるにせよ、リチャードの音楽家としての資質は巨大なものだった、といえると思います。
リチャード・カーペンターの研究は、自分にとって今後の大きな宿題だなあ。
それにしても、カーペンター兄妹がインストからスタートしていたとは。不勉強で知りませんでしたが、やはり音楽的に優れている人たちはインスト出身が多いのですね。