YMOをアルバム単位で聞き返していますが、その凄さを再確認。今の耳でないとわからないことも多々あり、シンセインスト制作上の重要なヒントが見つかる。テクノポップという新しい音楽の出現ですね。
そして当時社会現象になったのは、やっぱりリスナーも極めて健全な「耳」を持っていた。こんなにも新しいものを受け入れたんだから。
(まあ自分もいい加減オッサンだから、実はガチ世代。ティーンエイジャーの時、YMOが新曲として今の代表曲を出してる。ラジカセでエアチェック。今の子には通じないw)
意外だったのは、ファーストアルバムは1978年だったのですね。YMOは80sのイメージが強いから。もうひとつ、結構生ピアノが入っていた。スタジオ作品だから多重録音だが、スリーピースバンドという認識も生まれた。
こりゃあきらかに「書き譜」のアレンジじゃなく、スタジオで現場作業風に練り上げられたトラックだなあと。当時のエンジニアの証言とも合う。とにかく待たされたらしいから。三人で延々打ち合わせ・試行錯誤してたとか。
それにしても、このファーストのマスターが上がってきたとき、当時所属していたA社のトップお二方は頭を抱えたらしいですね。こんな新しいもの、どうやって売ろうかと。なんせ昭和だから、完成までノーチェックだった。
懇意のラジオやTVディレクターに声を掛けたが、案の定ウチではとても……って反応ばかり。そこから最終的にどう売ったかは、本にもなっているから省略するが、まあ「えっ。そんなアナログな方法でいいの?」っていう……。これもビックリです。
才能ある若手に充分な時間と資金を渡して好きにやらせたら、とてつもないクオリティの尖った音楽が出来てしまった……という、ある種お伽話のようなエピソードです。お陰で永遠に売れ続けるマスターピースが出来てしまった。
これをちゃんと世に出して広めたA社のプロデューサーお二人は、口幅ったいですが豪腕というしかないですね。YMOのお三方はもちろん凄いが、仕掛け人もまた桁外れだった。