YMOの洗礼を中高生でリアルタイムに受けた世代で、まだ音楽をやっている人って珍しいかもしれないから、そこから見た当時のYMOの感じを、記憶を辿りながら書いてみる。
まずYMOのお三方は、新しい音楽の作り手ということはもちろん、とにかく面白い人のポジションだったですね。面白カッコイイ、みたいな感じだといえばわかってもらえるか。それはスネークマンショーとの関わりも大きかったが、そもそも音楽性になにかユーモア(あるいはパロディック?な何か)を感じていたような、僕ら世代は。
ある時期まではホントに全員YMOを聞いていて、当時の流行は物凄かった、昭和ならではといえると思います。
ビートルズがそうだったように、ファッションまで流行させましたが、テクノカット(髪型)は別段周囲では見かけなかった。街でも居たかなあ、余程の繁華街ならいた気がする。とにかくクラスメイトにはいなかった。
(面白いことに、ビートルズもリバイバルで結構ヒットしていた、だって解散からまだ10年くらいの時だから 汗)
YMOがデビューした時は、テレビゲームの走り、タイトーのインベーダーゲームが大流行していた時代で、皆喫茶店のゲーム台に100円つぎ込んで粘ってましたね。僕ら世代はインベーダーやるために喫茶店に足を運ぶようになった。(その後かな、すぐゲーセンも出始めた)
脱線したが、そのテレビゲームに乗っかったのが、初期YMO。だからYMOも時代の子といえます。あと“ファッション”中国趣味も取り入れていて、これは皆様ご存知の通り。「イエロー」な音楽を作る、という大構想があったのですね。
以前も書いたが、放課後の教室で、こっそり持ち込んだラジカセでYMO(まあ主にコントだが)を皆で聞いたり……ってことがあちこちであった。だから本当に時代の音であり音楽でした。
今にして思えば、ちょうど日本が高度成長期終りからバブル始まりに至るくらいの時代に、YMOの音楽があったように思います。
そうそう、年長者からは、「ピコピコ」って言われてたな、YMOやテクノポップ系の音楽は 。😅
まあまさか2024年になって、音楽の作り手の立場からYMOを分析的に聴くとは思わなかった。こういうずば抜けた人たちが居てくれて、作り手としても、リスナーとしても僕らは幸せですね。