2020/03/20

『赤い鳥』創刊号を入手した

 今回はまず最初にフェイクニュースのお詫び(w)。大正~昭和初期の児童文学雑誌『赤い鳥』について、創刊号の巻頭作は芥川龍之介、と2回ほど書きましたが、この度これが誤りであったことがわかりました。
 実際の『赤い鳥』創刊号(復刻版)を入手して確認したところ、なんと……これまた文豪の北原白秋でした。芥川龍之介は掲載順3番目でした。なんでこんな勘違いしていたんだろう。

 そして2番目は誰かというと……実際の目次をご覧下さい。

 ひぃぃ……島崎藤村!? は? いやいやいや。

 そして、主宰の鈴木三重吉(漱石の弟子)のあとの名前を見て下さい。
 い、泉鏡花!? ワオ、なんだこの雑誌! これ、児童文学雑誌ですからね……。どんだけ文豪引っ張ってくれば気が済むのか。この豪華メンバー、胸やけしそう(w)。

 真面目な話、当時の鈴木三重吉の児童文学への情熱は大変なものだったようで、子ども向けの書物(および唱歌)に低劣なものが多く、このままでは日本の子供達の未来が駄目になってしまう、という強い危機感と怒りがあったそうですね。これに多くの文学者や音楽家、画家が賛同して、文学史の中でも例をみない巨大な運動になっていく。その結晶がこの『赤い鳥』という雑誌だった。子どもたちのため、だからこそ、超一流のものを、というのが合言葉だったそうです。
(表紙も素晴らしい)

 最盛期には、他にも数誌の児童文学誌が出ているような状況でした。
 そんな文学運動も、鈴木三重吉の死(享年53)とともに灯が消えたようになり、終っていくわけです。開戦前夜ということもあるが、この雑誌も他の雑誌も消えていったのですから、いかに力と情熱に溢れる人だったか。
 自分の記憶に間違いがなければ、宮澤賢治も投稿欄(読者欄)に名前が出たことがあったはず。そんなこともあって原稿依頼に繋がるのですが、時代の制約から没になってしまうのだから、本当に切ない。(他の児童文学誌だったかもしれないが)

 しかし、芥川の「蜘蛛の糸」はこの雑誌が初出だったのですね。おいおい……もうこの創刊号だけで「その時歴史は動いた」だよ(古い?)。

 これだけの文学運動を成功させていくんだから、やはり当時の文学者たちの情熱と力量は超ド級でした。日本文学の基礎がどんどん作られていく時代だったのですね。

 今回復刻とはいえ、実際の創刊号を見てみて、いろいろな発見がありました。やはり現物にあたるということは大切なのだな、と。

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