アマプラで出てきたので早速観てみた『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』、ドラマかと思ったらドキュメンタリーでした。言わずと知れた世界的なジャズレーベルの名門ですが、以前も書いたがドイツ移民のアルフレッド・ライオンが戦前のアメリカで設立したのですね。(映画では共同作業者としてフランシス・ウルフも登場した)
といっても当時の関係者に綿密に取材して……という体裁ではなく、現在のブルーノートレーベルのミュージシャンやプロデューサーの証言を中心に、昔の記録(主に写真)を掘り起こして歴史を振り返っていく、という感じの映画でした。現在のブルーノートはヒップホップにも対応していて、DJとも積極的に契約して、彼らにはなんとサンプリングが「公式」に認められていたりする(w)。昔の音源が使い放題ってことですね。
初めて知った面白い話もあって、最初期のブルーノートは本当に小じんまりとしていて、なんと録音はエンジニアのルディ・バン・ゲルダーの自宅で行なわれていた(自宅スタジオではなく自宅)。リビングを改造して壁を作って金魚鉢(コントロールルーム)にして、普通にゲルダーの両親も住んでいるんだけど、録音のときは静かにしてもらっていたらしい(w)。そこへミュージシャンが楽器を持って来てたんですね(たぶんピアノはあったんだろうが、ドラムスはどうしたのか…?)
そのうちだんだん忙しくなるわ、バンドの人数も増えるわで、ゲルダーが自宅の隣に自費でスタジオを建てたらしい。だからブルーノートは自社スタジオというものは無かった。
証言の中で、何度も登場するのが物凄い数のリテイクの話。20回という数字が普通に登場します。完璧主義者のライオンは、気に入るまでそのくらいのリテイクを要求し、ミュージシャンもそれに従った。絶対の信頼関係があったのでしょう。(ギャラも1回につきで払っていたはず) アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズだったか、当時のメモを見ると27回リテイクした曲があり、採用テイクはなんと25回目。
(正直ここまでやるとアドリブもほぼ「造り」になると思う。譜面を見て演奏するのと同じ)
現在のブルーノートの若いミュージシャンによるオールスターセッションの録音風景も映っていて、特別ゲストでハービー・ハンコックとウェイン・ショーターも参加、当然二人のインタビューもありました。
ショーターさんはある時マイルスとフロントに立っていたら、「演奏に飽きないか?」と囁かれたらしい。「もう普通の演奏はいいだろ?(新しいことやろうぜ)」って。あと気付いたが、ハンコックさんはなんでも「いい話」にしてしまう傾向があるな。HH話法とでもいうべきものが確かに存在する(w)。
この映画の白眉は、マイルスの物真似するショーターさんでした、こんなに面白い人だとは思わなかったですわ。
(ブルーノートもずっと磐石だったわけはなく、一度破綻しているんですね、これがなんと「サイドワインダー」が売れすぎで資金繰りが悪化……という、小出版社でもよくあるパターン。その後大手の傘下に入り、活動停止の時期もあるが、再び復活という流れ)
初期のブルーノートは思っていたよりずっと小規模な制作体制だったので意外でした。そしてこれはむしろ、現在の宅録全盛時代を先取りしていたようなものですね。本当にゲルダーの家のリビングで録っていたのだし。
口幅ったいですが弊社も心持ちを強くしました。