童謡はもちろん作詞・作曲者がいて、著作権保護の対象ですが、いわゆる唱歌(文部省唱歌、いまなら文科省?)はパブリックドメインの扱いらしいですね、国が音楽教育のために依頼して作ったものなので。といっても童謡も著作権保護期間がきれたものがたくさんありますが。
で、唱歌や童謡を聞いていて思うことは、これは旋律(メロディ)の音楽なのだな、ということです。アレンジどうこうというものではなく、簡単な伴奏だけでも成り立ってしまうし(それほどメロにも詩にも力がある)、そういう風に作られている。学校などで、不慣れな先生でも簡単に伴奏できるように作曲してあるし、子供にも簡単に歌えるように、譜割りも難しいものはない。(だから、作曲は案外難しいのですよ、これだけ縛りがあると似たメロも出来やすいし)。
ちょっと戻るけど、今残っている唱歌で、そもそも作詞作曲者がはっきりしないものもたくさんある。当時はそれほど著作権意識って作り手にもなかったのですね、楽譜なんかも勝手に第三者が出版してしまう状態だったらしいし(w)。楽譜が出れば名誉だろ、くらいの感覚だったのかもしれない。
で、まあ、唱歌・童謡も、普段歌わないアーティストさんが歌うと、その方の日本人としてのルーツに触れた気がして、これはなかなか良いものなのですね。旋律の音楽だから、ってのもある。今のPOPミュージックはそうじゃないものね。(ラップは旋律というより、台詞だと思う)。
余談、明治~昭和初期に政府が国の事業として唱歌をたくさん作ったのですが、今残っているものはともかく、当時は酷い出来のものもどうもたくさんあったらしい。
それに怒ったのが当時の心ある文学者・鈴木三重吉で、このままでは日本の子供達が可哀想だ、というので創刊したのが名高い児童文学雑誌「赤い鳥」(創刊号巻頭は芥川龍之介)。童謡(今で言えばマルチメディア展開)も同時に創作していったことから、ここ発で今スタンダードになっている曲が山のようにあります。これが一大文学運動・童話童謡ブームに繋がったのですが、宮澤賢治も実はこのブームの中にいて創作を始めた、と言ってよいと思います。
まあこういう人が本物の「国士」だよなあ、有言実行だし。後期は戦時体制の陰が色濃くなり、お上の干渉を防ぐのに苦労したらしい。賢治の詩がこの雑誌で没になったのも、どうもそのせいだったとのこと(載せてしまうと検閲のきっかけになるので)。
それはともかく、賢治作詞・作曲の「星めぐりの歌」は傑作ですね。昔行った花巻駅前で夕方に流れていたなあ。