NHKラジオを聞いていたら、昭和のラジオ番組アーカイブから歴史的に面白いものをピックアップして解説する番組をやっていて、それで3回くらいに渡って三島由紀夫の話が流れていました。
三島自身が肉声で話している番組が流れるわけで、例の市ヶ谷突入の演説以外では、あまり普通に喋っているところは知らなかったので、なかなか興味深かったです。非常に論理的で明瞭な話し方をされる方ですね。もちろん映画出演したり劇団を率いたりという活動もしていたので、そのためもあったのでしょうが、やはり根本的には非常な知性からくるんでしょう。当時華々しかった左翼学生運動集会での対話もあったりして、三島自身は右翼であったといえるでしょうが、意見が正反対の側との対話を厭わない、いやむしろ積極的に話し合う・議論するという姿勢があって、今更ですが流石としか言いようがない。今の与党議員はぜひ爪の垢でも煎じて飲んで欲しい。
(そういった意味では非常に民主主義的な人だったといえるのでは?)
で、その三島が当時の番組で、『葉隠』について言及して、この中に書かれていることを自分は評価しているが(武士道とは死ぬここと見つけたり……というアレ)、もう戦争が終って戦後になり、平和の世になった。自分は大儀のために死ぬというチャンスもなく、ただ老いて無様に死んでいくのだろう、という意味のことを言っていました。
また、前述の学生運動での対話では、質問者からモロに「葉隠には死について書かれているが、あなたが心酔しているならいつ死ぬのか」みたいな無茶苦茶な質問もあり(w)、それに三島は苦笑混じりに、やはり自分は死ねずに老いていくのでしょう、みたいに答えているんですね。(これで怒らないのは大したもの。対話がむしろ楽しかったのでしょうか)。
そしてなんと、死の2週間前に三島の自宅へ文芸評論家が訪れて録音されたというインタビューもあり、そこで色々と答えているのですが、上に書いた番組での声とは違って、かなり沈んだ、覇気のない声で、度々聞き取りにくい感じでした。もう自決の計画作成は全て終え、あとは実行のみという段階だったでしょう。今風にいえばあきらかに鬱っぽかった。
今回気付いたが三島由紀夫という人は、メディアに出まくっていた人もであったのですね。現代的な作家像を体現していた人ともいえそうです。
個人的には、三島が実は特撮怪獣映画の大ファンで、あの有名人が誰にも言えずこそこそ一人で映画館に入って楽しんでいたこと(なんかわかるがw)、日本画家の東山魁夷も全く同じで、何かの拍子にそれがお互い知れて、雑誌の往復書簡で嬉しそうに相互カミングアウトした、って話がツボです(w)。
『美しい星』っていう全然宇宙人ぽくない宇宙人が出てくる長編さえあるからなあ……。かなり空飛ぶ円盤はお好きだったらしい。
著名なSF同人誌『宇宙塵』の初期の会合では、三島や安倍公房も顔を出していたそうですね。ほんと、この時期の作家は一筋縄ではいかないですわ。