冨田勲先生の経歴で、「そういえば……」と最近気付いたこと。
実はこのブログのすぐ下の追悼記事の中でも書いたんだけど、20代の氏は娯楽映画の劇伴を書きまくっていて、それは従来あまりご本人の口からも、経歴紹介でも語られてこなかった。たぶん作曲家としてキャリアの最初期で、経験を積むための期間であったからでしょう。
(「スイッチト・オン・ヒット&ロック」の存在が公式にはほぼ伏せられていたのと、似たような理由と思われるw)
冨田先生ですら、作曲の仕事を始めて間もない頃は、こうして大量に仕事をこなして力をつけていったんだな、と。
大事なことなのでもう一度言いますね、「冨田先生ですら」ですわ。
いわんや俺をや……(汗)(汗)(汗)
そう、もし先生が100曲書いたというなら、自分は一体何曲書かねばならないのか。千でも一万でも足りない。でもさすがにそれだと死にますから(w)、せめて3桁までは分量を書かないと、お話にならないでしょう。スタートラインにも立てない。
どんな分野でもそうですが、職業としたいなら(お金を稼ぎたいなら)、まず分量をこなしてノウハウを身につけていかないと、これはどうしようもない。人より早く大量に高品質のものを作れるのが「プロ」ですから。
(もしあなたがアーティストなら、1年に1曲でもいいです)
これはライティングの分野でも、無論同じこと。
これを気付いてからは、謙虚にコンペに取り組むようになりましたわ。コンペという機会を捉えて経験を積むのだ、という意識の持ち方ですね。落ちて当たり前(プロでも落ちるのが普通)、通ればラッキー。無論その好運を呼び込むのは実力で、それは大量に書かないと身につきません。
実際のところ、修行といってしまえばなんだか辛そうに聞こえるかもしれないが、これは楽しい修行ですから。これを修行と言ったら怒られるくらい。
どんな世界でも甘くないが、音楽に限っていえば、これほどハッピーな苦行(?)もないので。自分、かなり面白い生活になりました。